尚早な焦燥

私、最近ずぅぅっっとなんですけど「焦り」が取れないんです。理由も、対処法も理解はできてるんです。

 

けれど、どうしても焦ってしまう…
これはそういうホルモンの影響?かもしれない。けれどそれが全てではないですよね。

ということで、今回は私の焦りについて掘り下げようと思います。

 

 

・あなたの「焦り」はどこから?

 

私が今回焦っているのは典型的な若さによる焦り、つまり…

 

「やりたいことが決まってすぐにでも動きたいけれど、その前に知識をつけて、修行をしないといけない(時間がかかる)。能動的に待つという難しいことを求められている」

 

ということなのです。

 

私が最終的な目標である「人として生きる」ということを成し遂げるためにまずはこの焦りを段階を踏まえて説明していきましょう。

 

 

・私流の「生きる」

ここでは少しだけ「人として生きる」の意味を掘り下げてみます。なんでわざわざ人として生きることを強調しなければならないのか。

 

他の人なら当たり前にやってることなのでは?  とみなさんは思うかもしれない。

 

けれど、世の常としてそういう
ことほどとても難しいんですよね。

 

 

みなさんは茹でガエルを知っていますか。

お湯の入った鍋にカエルを入れると当然、逃げる。

 

けれども、水の入った鍋にカエルを入れ、だんだんとお湯にしていくとカエルは温度の変化に気がつかず逃げることなく死んでしまう。

 

みなさんは、この茹でガエルのようにならない自信がありますか。  私にはない。

 

過酷な環境に気が付かないまま人間としての尊厳を失い死ぬ。私が最も恐れていること。だからこそ、「焦る」ことが唯一の抵抗だと私は思っています。

 

 

・何と戦っている?

 

よく、焦りは自分との闘いだといいます。

まさに、そうだと思う。

私はいま自分と闘い、自分の周りと戦っています。

 

もし、私が会社にサラリーマンとして就職すれば私の特性上、たちまち茹でガエルとなり、人として生きることができなくなるでしょう。

 

詳しい業種は伏せるが私は人として生きるための手段として起業を考えています。

起業なら、選べない上司に一喜一憂することもない。  手段としてはこれ以上はないんです。
なのでそのために優先順位を間違えずに、自分の経験を積む必要がある…ですけど現状は優先順位を間違えてばかり…

 

 

・理解はしているが

 

ここまで焦りに対して理解しているならなぜ、優先順位を間違えたり、この焦りに執着刷るのか。これはほんとうに難しい。

 

私にも正直わからない。わからない…がここまで話を掘り下げてわかったことがたくさんあります。

 

というのも理解ということには段階があると思うのです。この段階のことはまた別の機会にさせてもらうがとにかく、まだ深い理解に
近づいていない、ということがあるのだと思っています。

 

この焦りを完全に理解できたとき焦りは消えるか、また別の焦りが顔を出すだろうと思っています。

 


・焦りを払拭するために

 

最後に焦りを取り除く方法があります。

 

それは行動し続けること。

 

実は私の焦りはそのためのエネルギーなのではと私は思っています。ただ、優先順位を間違えてはやはり経験として豊かなものは得られにくい。

 

「頭はクールに、心はホットに」

 

と言ったところですかね

 

今回、このブログを書いている内に自分の焦りが少しやわらぐのを感じ、やはり行動することの大事さを身に染みました。

ということで今回はこのあたりでお別れに

しましょう。


少し長かったけれど、読んでくれて

 

ありがとうございました!

 

また次回、会いましょう!

 

ご報告

エッセイを書くことにしました。

 

いままで私は勘違いしていました。
今までの私はいわば本を書くことを
目的にしてしまっていたんですね。

 

これって結構、重大な問題で
例えばスパイスってあるじゃないですか。
あれって料理(本当の目的)を
より良くするための手段なんで

「この料理にたまたまこのスパイスが合いそうだな」
っていうのがとてもフランクで
いい関係なんですけれども

私の場合「このスパイスを使うために料理を作る」
って状態だったんですよね。

 

いやぁ、たまにはいいんですけれども
これが毎日となると話は別ですよね

本当は料理を作るのが目的なのに
スパイスをどれだけ使ったかでしか
ものごとを見れなくなったら…

 

最終的にスパイスをそのまま
食べるとんでもない人になってしまいますからね。

ていうか、それってどっちかっていうと
スパイスよりハーブ寄りになってますよね?
(脱法)ハーブですよね?

 

まぁ、話を戻すのですが

私の人生の目標は「人として生きる」
ことなので、それに向けての
スパイスが文章を書くことだと
すれば、私には小説より
エッセイが合うのかと勝手な
判断をしたわけです。

 

これが後に私の人生という料理に
どんな影響をもたらすのか
今から楽しみですね。

 

夕暮れの小説1

「物語には質の変化が重要…」

 真横から夕日が差す教室で朝比奈岳人はつぶやいた。
一方のそれを聞いてた私と言うと、頭上に?を浮かべるしかなかった。
「あぁ。ただの独り言だよ、物語には敗北から勝利、善から悪というような
変化が必要で同じものを並べてもつまらなくなるということさ」
 なるほど、それなら理解できる。
 そんな私の顔を見て、どうやらそれが伝わったらしい。私は伝わったことに安堵したが同時に落ち込んだ。
(また、話せなかった…)
 岳人先輩とはこの文芸部に入部した時からお世話になっていて曜日によってはこうやって二人きりになることも少なくない。先輩のほうは私のことを妹とでも思っているのか静かに本と向き合っては楽しそうにしている。

 ただ、私はそうはいかない。
 話すことが比較的少ない部活とはいえ水面下で不満がたまっていることは明かだ。私はさっきのように男の人を相手にすると突然声が出なくなり、
話せなくなることが多く、そんな私を、先輩はいつもかばってくれているのだ。

 話せるようになりたい。話して岳人先輩がどう思っているのか聞きたい。
 そして、先輩にこの気持ちを…
(質の変化…)
 ふと、先輩の言葉が私の胸から響いてきた。
 私は、静かに先輩に近づき、後ろから抱きしめた。鼓動が触れて速くなる。先輩の息を呑む音が伝わる。もうそれらは先輩のものか、私のものかすらわからなくなった。


 やっぱり声は出ない。けれど私はそれでもよかった。そのおかげでこの音の溢れる静寂に居られたから。

 

 先輩は沈黙の中でひとしきり考えた後、慎重に話し始めた。

「大丈夫、伝わってるからさ、由香ちゃんが一生懸命話そうとしてるの
だから、大丈夫だよ。」
 混乱していていながらも優しい先輩。やっぱりそんな先輩が好きなんだ。私はそう確信した。 

 

 抱きしめるのをやめると先輩は私の方を見て
「とはいえ、克服するためとはいえ、大胆だね他の男子にしたら、勘違いしちゃうから気をつけてな」
と微笑みながら言った。

 

どうやら私達の変化はまだ少し先みたいだ。と少しがっかりする。

けれど私には変えれられる自信があった。
だって、一人じゃないから。先輩と一緒なのだから。

睡眠でお困りの方に

久しぶりにブログを更新しましたが、思うところがあって少し文章を柔らかく書こうと

思いました。理由としては、やはり伝える手段として優しい言葉の方が

私の目標に近づけるのではないかと、思ったからです。

 

 

さて、今回のテーマは光で起こしてくれる目覚まし時計(以下光時計)を

使ってみた感想です。

私はこの時計を7時30分に設定しているのですが私は毎朝それより

1~2時間早く起きる毎日を過ごしています。

普通の目覚ましと違い、起きた直後がとてもすっきりしていていいですね。

後、私は目覚ましに慣れてしまい、同じ音では起きない人なのですが

この光目覚ましだとそういうのは全くないです

ただ、あまりにも前日に無茶をすると寝過ごしてしまいますね。

やはり万能ということではないのでしょう。

 

ですが、私はこの光時計にかなり助けられています。

私が使用しているのは、かなり安い価格帯の光時計ですが、高いものなら

光療法、でセロトニンの生産にも役立つレベルの光が得られます。

 

睡眠でお困りのかた、ぜひ試してみてはどうでしょうか。

グレイテスト・対談

グレイテストショーマンに関して私と私のフォロワーさんの美少女さんとで
話し合った。というより私が強引に考察を送った結果優しいことに

丁寧に対応してもらった。

 

その優しさに甘え、このブログにも本文として載せることを許してもらった。
流石に私も油と媚を売ることに関しては一級だ。ということがここでも伺える。

ということで、一部始終のやり取りを紹介しよう。

私はまず


グレイテストショーマンの一部から不評な理由は
基本的に構図の質的な変化があまり大きくないこと。

基本、ソロ曲か正反対の2人組の応酬の曲しかなく、ミュージカル特有の、

みんなで歌うという場面が少なかったこと。

それとここが大事なのですがこの話が男の人が作った物語だということです。

基本的な構図が変わらないことを話しましたが、これもそうで常に女性が正しい答えを持っているという構図のもと話が進みそれは最後まで変わらない。

 

女の人に変化がなく脚本の人に一種の女性への憧れのようなものを感じるので
男性の物語だと思いました。

 

同じ構図だと美女と野獣の野獣の変化も、ベルの持つ女性の部分を
取り入れて、真実の愛を手にするというものです。
しかし、そもそもベルは男性の部分をお父さんから受け継いでおり
その時点で真実の愛を手にしているということがわかりますが
グレイテストショーマンの女性たちのものもそれと似た構図ですね。

アンは兄から、チャリティは父親から男性の部分を受け継いでいますが
バーナムは母親がおらずカーライルの家庭も父親の強い家庭であることが伺えます。

 

美女と野獣は前半はベルの心境に変化があり、後半に野獣の心境の変化と差別化が
ありますがグレイテストショーマンの方はそこまで女性側に変化がなかったように感じましたね。

 

まぁ、私はそれを含めても
面白いと思ったのですがね!!

と批評をした。

 

これに対して美少女さん(仮名)は

 

なるほど、男性たちが女性からの承認欲求を満たして成功者になる物語と

読み解いたわけですね。実際その通りだと思います。

これは伝記を基にして作られた映画で、そのため当時の男性主権的雰囲気と

女性を神聖視する願望が色濃く現れていんです。これがまず現代の男女平等を

肯定する雰囲気にそぐわないので違和感を持つ人が多かったのではないでしょうか。

加えてバーナムのサーカスは「はぐれ者が家族になれる場所」つまり差別との

戦いの場であったわけです。しかしバーナム自身にはそんな気はなく、

福祉的に彼らを受け入れたわけではなく見世物としていたわけです。

ここにバーナムと現代人の意識の差がある。現代人からすれば「見世物にするのも差別と変わらないじゃないか!」となるわけですね。

 

でもそれが真実なので、本作では下手な脚色をせずにメッチャ良い曲をぶち込んでごまかしてるわけです。

 

歌いながら物語が進むというよりはセリフで回すところが多かったですね〜これは最近のミュージカルの風潮なのかしら

 

その辺の時代や人格の違和感を脚本で捻じ曲げたのがイミテーション ゲームですね。

 

 

と歴史的な観点をプラスして
解説してくださった。

 

そして私はそれに対して

 

 

イミテーションゲームは見たことないのでわかりませんが

やはり時代背景の男性優位な部分や、差別的な面。
忠実にやれば映画が潰れるような要素をことごとく曲や
脚本で避けてる感は否めないですね

 

 

史実のとおりにやれば映画にならない、史実を変えれば批判が来るという

題材なのでそもそも題材選びでなかなか難しいところを選んだなという

印象はあります。誰が作っても批判がくる題材で、あそこまでやってのけたのは

さすがとしか言いようがないですね。

 

最近のミュージカル、といえばマンマミーアが今度あるので
それで最近の風潮はかなりわかるのではないですかね。

 

と、この映画の前提部分に立ち返って批評したのだが

 

これに美少女さんが

 

アメコミ映画もワンダーウーマンなど女性主体のものをかなり強く推してますからね!映画を好んで見る層はその手の文化の潮流に敏感なので、

映画の流行り廃りにはその辺かなり影響しますね〜

マンマミーアも強い女性の映画なので、この中で男性陣をどう描くのか楽しみです。

 

という風な返事をもらった。

 

ちょうどよい感じになったのでここで批評のやり取りは終了した。

グレイテストショーマンの新しい価値を見出せたと私は思うので

この批評は成功したと思いたい。

 

いままで男性社会だった反動から女性への憧れや女性の強さにスポットを当てた
映画が多く増えていて、特にミュージカルの面では次のマンマミーアで
男性がどう描かれるかに期待される。

 

という感じが要約されたやりとりだろうか。

 

なんにしても、美少女さん。ありがとうございます!

人間臭

私は人間らしい人が好きだ。

人間くさい人、と言い換えてもいい。

ドラゴンボールで言うとヤムチャドラえもんで言うとスネ夫だろうか。

彼らは、かっこつけたい、自慢したい、という欲に素直なのだ。

もちろん、だからといって悟空やドラえもんが嫌いなわけではない。

ただ、彼らは圧倒的に人間くささが足りない。

なぜか。簡単だ、彼らは宇宙人とロボットであり人間の枠からはみ出た存在だからだ。

というボケは置いておくにしても、彼らの人間くささがないのはなぜか。

私は、「目的への純粋さ」が関係しているのではないかと思っている。

ドラえもんは「のび太を矯正する」悟空には「強い奴と戦う」という目的がある。

この時点で、悟空に比べればドラえもんも人間くさいことこの上ないのがわかる。

のび太を正しい方向に教育する、とういう目的は純粋さを持ちにくい。

その点、悟空はシンプルな目的だ。頭空っぽの方が夢を詰め込める、というのも

間違いではないのかもしれない。

では、話を人間界に戻そう。

逆に言うと目的の不純さ、複雑なゴールを持つものが人間くさいと私は思う。

目立ちたいヤムチャスネ夫の欲にまみれた姿は純粋から程遠い。

だが、それでこそ物語が面白くなると私は思っている。

一見きれいな車の下のほうが汚れていたりしているほうが

人は安心することもあるのだ。

表裏非一体

エスカレーターの正しい乗り方をご存知だろうか。

ちなみに私は、子どものころエスカレーターを見ては

「すごい!階段が動いてるよ!!」と母に言っていた。

ここを大喜利大会にするなら私の回答は満場一致で正しいが

今回のテーマはそうではない。

 

実はエスカレーターは片方に寄って乗るものではないのだ。

 

片方だけによって人が乗ると重さが片側に集中して、そこから少しずつ壊れる。

一見きれいなやり方が非効率だったり予想外のダメージを生む。

 

これは人の働き方でも同じことが言えるのではないだろうか。 

 

あなたは、周りの意思に流され、重いやり方を引き受けてはいないか。

見かけの効率に騙されてはいないか。

エスカレーターは何度でも直せる。

しかし、あなたが傷ついたならば、それは完全には元に戻せない。

エスカレーターになったとしても、何を運ぶかは私が決める。

私の人生は私のものだ。例え社会の歯車になってもそれは変わらない。